(左)ヒクソン・グレーシー戦で引退したパンクラスの船木さんと
一緒にスクワットをやってる私。(細いっ)

  (右)ロープ登りの見本を見せるライガー選手になる前の○○選手。

/1987.12.22(新日本プロレス道場にて)




当時、漫画家の竜崎遼児先生のもとでアシスタントをしていたのです。
竜崎先生が少年サンデーに連載していた『闘将ボーイ』
(大名作のプロレスマンガです!)
の取材で新日本プロレスの道場に取材へ。道場内の撮影と練習の見学。
そこで・・・・ニコニコしながら船木さんが近付いてきました。「練習しましょうよ!」


船木選手とは同じ某格闘技道場に当時、通っていた関係で自分の顔
知ってたんです。
「いや・・・ちょっと・・・」と断る自分の言葉を無視して練習用のジャージを
持ってくる船木さん。
『て、徹夜明けなのに・・・』


最初はスクワット。「500回で行きましょう!」。かけ声をかけながら淡々とこなす。
300回に近付く頃には足の感覚が麻痺してきて『1000回位いけるぞ』って感じだったが300
回でもう良いとの声が。


その後はロープ登り、腕立て伏せなどイロイロやらされ(すでにスクワットで足がガクガクで何も
出来なかっス)
リング上でタイヤを使ってのブリッジ。
いっせいにレスラーのみなさんがリングに上がって頭と足をひっぱられ身体が千切れそうにな
る。
受け身の練習では越中選手に誉められちゃいました。「ナカナカ上手いって!」


そして最後は船木選手と同じ格闘技道場に通っていた○○選手との5分間のスパーリング。
最初に簡単の関節技を習ってスタート!次々と関節極められ数えきれないくらいギブアップす
る自分。
あまりにも凄まじくて写真すら撮れない竜崎先生。
そして最後に絞められて落されそうになってきました。
『や、やばい・・・落ちるぅ〜』そう感じた私は考えました。
『落ちる前に落ちたふりしよう!!』
全身の力をイッセイに抜くと○○選手は「あれ・・・こいつ落ちたかな?
おかしいなぁ〜」などと言いつつ技をといたのです。
『チャンスっ!』
すかさず○○選手の背後に回りスリーパー!
「あ〜っ!汚ねぇ〜っ!」といいつつあっさり そこでタイムアップ!                 
  『これもフェイントだぜ!』・・・と心の中で呟く自分。




道場の横にあるお風呂に入って『う〜っ!ここに新日本のレスラーのみなさん入ってるんだぁ
〜!』とひとり感激していると湯気の向こうから人陰が・・・。「大丈夫、キミ?」

ふ、藤波選手(現在、社長)!!でした。
湯舟の中で「ボクもマンガとか好きだよ『のらり松太郎』とか・・・」
(『それは『のたり』でしょっ!』と心の中でつっこむ)などとホントやさしく話してもらって大感激!


風呂から上がると食事にも御呼ばれ。ドン荒川さんのオモロいんだかオモロクないんだか判ら
ない話を
聞きながら食べたキムチちゃんこがメチャ旨い!
御飯の世話してくれたのはデビュー前の練習生だった鈴木みのる選手(現パンクラス)!


プロレスファンとして至福の時を過ごした私は痛い足を引きずりながら当時、
高円寺に住んでいた友達のウチへ行って報告。その友達は今では団体まで作って立派なプロ
レスラーになりました。
大阪プロレスのスペル・デルフィン選手です。


あの当時も凄い体験したと思ったけど時が過ぎると更に凄い体験だったなと感じますです。
ちなみにその後、1週間 足が曲がりませんでした。